ただいま、利用生徒さんの保護者様を対象にzoomフォローアップ面談を実施しております。先日メールにて送らせていただいた「面談実施のご案内」に返信してお申込みください。
※1回の面談は30分程度を予定しております。
<面談内容>
・さざれいしでの学習状況について(お子様の理解状況など)
・学校の状況について(人間関係や登校に関するご相談等)
・高校受験について

勉強が苦手な子や不登校の子を応援したい
子どもは面白いものに興味を持つ
突然ですが、みなさんは好きなものは何ですか?何か興味があるものはありますか?これは先日、さざれいしで一緒に勉強することになった小学6年の子とのやり取りです。
オンラインでも実際の対面でも子ども達と講師の信頼関係はとても大切なものです。
子ども
「バレエを習っていたこともあるよ」「フラダンスもやってた」「今はドラムを習っているんだ」「猫を飼ってるんだよ」
わたし
「高校時代は野球部だった」「ミニバレーをやってたけど最近できてないな・・・」「音楽は最近、あいみょんが好き。でも、いいおじさんがあいみょんって恥ずかしいな。」
子ども
「自分が好きなものを恥ずかしいなんて思う必要ないよ」
なんて勇気づけてもらっちゃいました。彼女は自分の「好き」を大切にしている子なんです。
さて、今回は子育てと「脳科学」を結び付けながら「好きになること」が子どもの成長にとってとても重要であることをお伝えしていきます。
「脳科学」において「面白い」と感じることは・・・
ここからのお話は『素質と思考の「脳科学」で子どもは伸びる~林成之著』の内容を参考にさせていただきながらお伝えしていきます。
まず、人間の脳細胞には「仲間になりたい」「生きたい」「知りたい」という本能が「神経由来の本能」として刷り込まれています。この本能を理解して子ども達に接することがとても大切になってくるのです。
人間は集団で生きる動物(社会性動物)です。生きるために「仲間になりたい」という本能を備えており、無意識のうちに他人と仲良くしようとするのです。そのスタートとして幼少期は親や信頼できる人と「仲間」になるのです。
ここで子ども達は上手く「仲間」を形成できると今度は、その相手の興味・関心に意識が移っていきます。これを「同期発火(脳のある部位が興奮活動をすると神経伝達回路がその周辺に無くても興奮が順々に伝わっていくというもの)」の伝達と位置付けます。
例)誰かが悲しい思いをしていると、その近くにいる人も、2人の脳の神経回路がつながっているわけではないのに、悲しくなる。
確かにお父さんが釣り好きなので子どもも釣り好き、お父さんがアウトドア派だから子どももアウトドアが大好きという事がとても多く見られます。
この同期発火の原理を先生と子どもとの関係で考えてみましょう。先生が興味を持っているものを楽しそうに伝えていると子どもに同期されます。
そして、子どもは楽しそうに話す先生が魅力的に映り「好き」になります(仲間になりたい本能発動!)。逆も言えますね。仲間になりたいから、その人の興味・関心ごとに興味が湧いてくる。
そして、先生の興味は子どもの脳の中で同期発火し興味・関心を共有し理解もどんどん進むのです。
子どもの好奇心を育てるために
・大人が好きなものを子どもも好きになる可能性が高い
・どの子も「仲間になりたい本能」を持っている
(集団が苦手な子も多かれ少なかれ持っている)
子どもに好きになってもらうには?
~子どもに好かれる要素の例~
・物知り(専門的識がある)
・多趣味
・会話が面白い、楽しい
・安心感がある
・優しい
・気分にムラがない
・いい話をしてくれる
・叱るときは叱る など
自己報酬神経群を伸ばす
もう一つ大切なことは「自主性」を育てることです。一般的に自主性は7歳~10歳の間に成長すると言われています(あくまで目安です💦)。
現在の日本の教育は「言われた通りにやる」ことに重点を置きすぎていて、それに慣れてしまった子ども達は総じて自分で考える力が低いです。
「自主性」は自分で考えたことを自分で成し遂げることが脳にとってのご褒美とする「自己報酬神経群」によって生み出されます。親がわが子に向かって「ああしろ、こうしろ」と言う事は子どもの自己報酬神経群の働きを阻害してしまうことになるのです。
山本 五十六(連合艦隊司令長官)の名言
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」
は脳科学の観点から見ても信頼関係や自主性を重んじていることから、とても理にかなっているということができると思います。
「うちの子、本読まないんですよ・・・」と嘆く親御さん自身があまり本を読まない方だったりします。早めに読書好きな別な大人に預けた方が良いでしょう(ぜひ「さざれいし」に!笑)。
子ども達を本当の意味で伸ばすのは周りにいる大人たちです。「教えてやろう」という上から目線では子ども達はついてきません。
「甘やかすのは良くない。」という方もいらっしゃいますがちょっと意味が違いますね。😂
同期発火をたくさん起こせるようにまずは大人がわくわくする事が、子どもにとって一番良い影響があるようです。
これは一人の人間では無理です。
だって、何にでも興味・関心が旺盛で子どもを100%信頼しきって任せるパーフェクトな大人になりなさいと言われても無理ですよ。
だから、子育てはみんなでするべきなんです。
~いい親でなければ!という幻想~
唐突ですが「世のお母さん達は本当にエライ!」と思います(もちろんお父さんも💦)。子どもを育てるって本当に尊いですし、難しいものです。
「愛情をこめて抱きしめると、優しい子どもになる」「寝る前に本を読み聞かせると、子どもは勉強好きになる」「添加物の入った食品を与えないようにする」などなど社会に出回っている「いい子育て論」。
一方でそれは、「親の育て方が子どもの人生を決める」というものすごく巨大なプレッシャーと表裏になっていると感じます。
「私は子どもに何もしてあげられていない……。」とか
「私がこんなだからこの子はこんな風になってしまった……。」
「いいお母さんになれていない……」などと自分を責めているお母さんのお話をたくさん聞いたことがあります。
1つここで問いかけてみたい事があります。
「いいお母さん」って何ですか?
子どもに文化や知識を伝えるのも、社会で一人前の大人として認められるよう準備を整えさせるのも、本当にすべて親の役目なのでしょうか?
江戸時代末期の日本の識字率は50%を超えていたとも言われています。これは何を意味しているのでしょうか?
武家だけではなく一般の民衆も入れてこの数字です。それは教育というものを非常に重要視してきた表れであり、当時日本全国に1500以上あったといわれる「私塾」や15000を超えていたとされる「寺子屋」の存在が民衆の教育を「支えて」いたのです。
教育と一言にいってもいろいろあります。「家庭教育」「学校教育」「社会教育」のように家庭や学校、地域がそれぞれ果たす役割があります。
こう言われてしまうと『「家庭教育」の部分はしっかり役割を果たさなきゃ』とまた肩に力が入ってしまいそうですが、そんなことはありません。
「読書好きな子」に育って欲しいなら、周りに「読書好きな大人」がいなくてはなりません(これは私の持論。自分は好きでもないのに「~すべき」と言っても子どもには伝わりません)。
「うちの子本読まなくて困ってるんです。」と言っている親御さんが読書をしないことも多々あります。💦(そんな時は読書好きの他者に任せたらいいんです。)
「添加物の入っていない食品」を全て避けることはできますか?コンビニ弁当を買ってきて子どもに食べさせている時の意味不明な罪悪感……。😢
「愛情をこめて抱きしめると、優しい子どもになる」のは確かです。でも毎日子どもを抱きしめられる精神状態ですか?親だって人間です。難しい日だってそりゃありますよ。
私の経験談をここで一つお伝えしたいと思います。
あるご家庭のお話。
お母さんと6歳の息子の2人暮らしでした。
お母さんは家計のために夜のお仕事をされている方でした。息子さんは児童デイに通っており、私はよくそのお宅に送迎で通っていました。
お昼過ぎにお迎えに行くとお母さんはいつも寝ていました。無理もありません。だって朝方3:00くらいまで勤務して自宅に戻るのは5:00くらい。起きて子どもを送り出せというのも酷な話です。
その6歳の息子はいつも寝ている母親に向けて「行ってきます。」と声を掛けますが返事はありません……。そんな毎日でした。
ある日、当時勤めていた施設に児童相談所から電話が来ました。「そちらに通っている〇〇くんですが、こちらで保護していますのでしばらくそちらに通えません。」
お母さんが子どもに手を挙げてしまったらしくDV案件として処理されてしまったのです。
「あの子は今いったいどんな気持ちで児童相談所に保護されているのだろう・・・。」
ショックでした。胸がつぶれそうでした。
数か月後、その子は親と離れて「事情があって親と離れて暮らしている子」が暮らす施設に入りました。そして、児童デイの通所も再開できることになりました。
久しぶりにその子に会える日。どんな表情をしているかとても気になりました。親と離れてくらして「捨てられた」と自暴自棄になっているのではないか。ふさぎ込んでいるのではないか。
ですが予想に反して実際に会ったその子は明るく、いい表情をしていました。
「先生、久しぶり!」
私は声がでませんでした。
暮らしている施設のスタッフさんが愛情をたくさん注いでくださったのだと思います。その子の施設での様子をお聞きするまでもなく、表情が全てを物語っていました。
もちろん、親でなくては注げない愛情もあるのだと思います。孤独な時もたくさんあるのだと思います。でも、他人だからこそ注げる愛情もあります。他人だからこそ言ってあげられることもたくさんあるのです。
子どもの教育は親が抱え込んでやるものではないと思います。
文部科学省でも地域教育や学校教育との連携について方向性を明確に打ち出しています。子どもを育てる環境は「みんなで作る」ものなのです。
現代の日本社会は核家族化が進み「わが子」以外の教育には関心を持ちにくい状況です。「ひと昔前は近所の頑固おやじによく怒られたんだよ。」なんて話を聞くこともありますが、私自身も記憶にほぼ残っていません。
みなさんは知らない子がゴミを捨てているのを見て注意できますか?
結構ハードル高いですよね。
自分はそんな偉そうなこと言えるような社会規範を身に着けている人間ではない。と自分自身の問題に入り込んで言うのをやめてしまいます。
地域教育を考えていく時に「わが子」以外に関心がない状態では何も前に進みません。こう考えるとても難しい事になってしまいますが、大きなことは出来なくても良いと思います。
すれ違った近所の子に笑顔で「あいさつ」をする。くらいの小さな所から始めていくのがいいでしょう。
自分の子育てを他の人と共有するためには、自分も地域の子どもを育てる感覚をもてると良いと思います(いろいろシェアする時代ですから 笑)。
また、私自身も今後も地域教育についていろいろと勉強していきたいと思います。
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