吉田松陰「人を動かす天才」の言葉より
久々にブログ投稿します💦11月になり北海道はすっかり寒くなって来ました。前回投稿が4月なので本当に久々・・・。
今日は「相手を理解する」ことについて書きつづってみたいと思います。
先日、読んだ書籍「吉田松陰~人を動かす天才の言葉」にとても印象深い言葉がありました。
自分の価値観で人を攻撃してはいけない。
1つの失敗で全て判断してはいけない。
長所を見て短所を見ない。
相手の心を察して結果が悪くても許す。
そうすれば人は必ず集まってくる。
明治維新の立役者となった久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋らの人物を輩出した「松下村塾」。
尊王攘夷の思想を持ち、時に急進的な思想・行動(老中暗殺計画など)で幕府に捕らえられ30歳で亡くなった、吉田松陰から出た言葉としてはちょっと意外な気がします。
この言葉は松陰が獄中にて富永有隣という人物に、その性格を直すように忠告した言葉と言われています。
有隣は松陰よりも9つ年上で、明倫館に学び、藩主の前で大学を講じた秀才でしたが、自らの才能ゆえに「自分ほど優れた人間はいない」とお高くとまっており、人を見下していました。
そんな有隣に「なぜ、皆をそう敵視するのか。私が見るに、あなたは獄で死ぬような人間ではない。徳を積んで人に慕われるようになれば、事を成就できよう。あなたにはできる。」と伝え有隣を立ち直らせたといいます。

自分の価値観に固執する理由
最近、不登校やひきこもりに関する書籍を読んでいます。その中から印象的な言葉をご紹介しますね。
(現在勉強中です。心理学って面白いですね😄✨)
プライドの高い人は往々にして自信がありません。自信がある人はプライドにあまりこだわりません。ひきこもりの人は一般に、自信はないがプライドが高い。いや、自信が持てないからこそプライドにしがみつくのかもしれません。ひきこもりの人々の多くは、自分自身を愛する事に失敗しています。(「ひきこもりはなぜ治るのか?」 斎藤環 著)
不登校にまつわる様々なお悩みを聞いていると、不登校やひきこもりの子ども達の半分くらいは暴言や暴力など、他者を攻撃してしまう状況がでてしまう事があるようです。
(もちろん、人によって状況は様々でひとくくりではありませんよ。)
ご家族の不安やお悩みに耳を傾けながら、子ども達の状況を想像してみました。
「学校に行けない自分は価値の無い人間だ」と思ってしまう本人。
この状況に陥っている人は2つの思考パターンに入りがちだと考えられます。
①自分がダメだと思いたくないので現実を見ない
(良いか悪いかではありません💦)。
②自分を守るために他者を攻撃してしまう。
①は心の奥にありますから表出しずらいですね。(⇔でもここと向き合うと人生が180°変わるとも思います)
②はプライドが高く、時に傲慢な態度として表出し、他人から嫌われる原因になります。
自分の価値観に強くこだわっている人は本当は自信が持てなくて苦しんでいる人なのだと思います。


相手の心を見て結果を見ない
学校に行かないという事実に対してどのように向き合うのか。ここに周りの大人がどのような価値感を持っているかで、子どもは大きく変わります。
現在、私が接している不登校や別室登校の子たちは、自分と向き合ってもがいている子もいれば、勇気を振り絞って一歩を踏み出そうとしている子もいます。
問題行動をどう治めよう?と大人は考えがち🤔ですが、子ども達にとっては自分を成長させるための重要な機会でもあるのです。
子ども達には心を休める期間が大切であるとともに、松陰のようなビシッと忠告してくれる存在も必要なのだと思います。(きっと・・・)
大切なのは相手の言動がどのような心から出ているのかを感じる事です。
