「学ぶ」意味とは②

歴史を学ぶ意味

前回の①で考察したように「学ぶ」意味の中には「他者のために役立つ」と言う意味はありそうです。ではその他にはどんな意味があるのでしょうか?

(「学ぶ」意味とは①)

最近の日本人は「自分が何者か分からず」悩んでいる人が多く、自ら命を絶ってしまう悲しい事が起きていることは今更述べるまでもない事です。

                               厚生労働省HPより引用

もちろん経済との関わりが強いことも事実なので、一概にすべてを結びつけることはできません。背景は複合的なので二元論で論じることは難しい問題です。

ただ一つ言えることは「自分が生まれてきた意味」「自分の果たすべき使命」が見えている人は困難に立ち向かう力が強いのではないかという事です。

(もちろん乗り越えられない程の困難があることも理解できます)

そこで大きな役割を果たしているのが「歴史」を学ぶことであると私は考えています。

自分の両親のルーツ、育ってきた地域や環境の歴史、日本の歴史、世界の歴史。

これらを複合的に知ることで見えてくるものがあるのではないでしょうか?

中学生で「歴史」が苦手な子からよく「昔のことなんて勉強して何になるんだ!俺は前向きなんだ!」なんて言葉を聞くことがあります。

もし、この言葉を身の回りの子どもが言っていたら言ってあげてください!😆

「・・・何ていえばいいんだろう。」🙄

Parents And Children Curiosity  - taniadimas / Pixabay
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「歴史を学ぶとは人間を考えること」

かっこいい言葉ですよね。これは専修大学文学部のHPに掲載されている言葉です。

子ども達にとってまずは「自分を知ること」が最優先です。

そのためにもまずは親御さんから「ご両親が生まれ育ってきた環境」についてお子様にお話してあげてください。

それは子どもにとっては既に「歴史」なのだと思います。

出自の違う2人が出会って結婚し自分が生まれた・・・。

それだけでワクワクするストーリーなのではないでしょうか?

家族の会話の例)

「ねえ、どうしてうちのお雑煮には魚が入っているの?〇〇ちゃんの家には入ってないらしいよ。」

「それはね、お母さんの実家の〇〇県では昔から雑煮には魚🐟を入れる風習があるんだよ。」

こんな会話があるとその土地の風土の事を学んでみようと思うかもしれませんね。😉

自分がどうしてこんな趣向なのか?自分がどうしてこう考えがちなのか?などは脈々と受け継がれてきたものであります(DNAレベルで!)。

だから周りと比べて変に劣等感を持たなくなるとも思います。

(私がこうなのは父さんもおじいちゃんも一緒でしょ!「血」だよ!みたいな感じ 笑)

そうしてご先祖様?!から受け継いできたものを踏まえて「自分らしさ」を作っていくのです。

大人気のマンガ「鬼滅の刃」で言えば「はじまりの呼吸」である「日の呼吸」を知ることと同じなのではないかと思います。

School Children Desks School  - AnnaliseArt / Pixabay
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「歴史を学ぶのは現代を知ること」

私たちが暮らしているのは「現代」です。そして今起きていることは過去の「歴史」と連動しているのです。

自分をしっかり持って生きていきたい。

誰しも願っていることではないかと思います。

ですが、今は情報社会。

様々な情報がたくさん溢れかえっています。

様々な情報に踊らされて、気づけば自分がわからなくなる・・・。

何てことになりかねないのです。

大切なことは「歴史を学ぶこと」を辞めないこと。

学校教育で教わる「歴史」は一つの側面からしか切り取っていません。

歴史は出来事をいくつ覚えているかを競うゲームではありません。

自分が知っている事を通じてどんなストーリーを紡ぎだすかの方が何倍も重要なことなのだと思います。

これがその人の「現代社会の捉え方」に繋がります。

そうして捉えた「現代」で自分は何をしたらいいのか?

それを「自分で決める」旅が人生なのです。

(それを他人にゆだねると幸福感は一気に下がります。💦)

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Temple Shrine Omikuji Symbol  - MarlonTrottmann / Pixabay
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「歴史を学ぶとは未来を見ること」

歴史の中には教訓がたくさんあります。

未知の困難に過去の人たちはどのように向き合っていったのでしょう。

例えば・・・

「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』 ――大きな感動が私をゆさぶった。死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」(『マッカーサー回顧録』1963年)

第二次世界大戦後、昭和天皇とGHQのマッカーサーとの会見の際の事です。これは日本人の生き方であり他国から尊敬される在り方だと思われます。

ここから学べるのは「責任の取り方・捉え方」ではないでしょうか。

ビジネスの世界では「上司とは自分の目に見えないことの責任も取れるものだ」という言葉を耳にすることがあります。

これって現代にも通ずる日本人としての在り方だと思います。

人間関係に迷ったとき、ビジネスの場で苦境に立たされたとき、子育てに迷ったとき・・・。

歴史にはたくさんのヒントが隠されています。

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